史上最大の史上最高にピースフルなデモ行進!!
MARCH for LIFE

1973.1.22ワシントンから

この日、ひとつの最高裁判決が下ったことにより、アメリカは全州にわたってABORTION=人工妊娠中絶が合法になりました。その日から今日までに五千万件以上の中絶がおこなわれ、中絶問題はアメリカ社会に大きな影を落としています。

一方、この判決に疑問を抱いた市民が立ち上がり、翌年から「March for Life=マーチフォーライフ」が始まりました。判決のあった日にワシントンDCに集まる参加者の数が年々増えつづけるとともに、すべてのいのちを守る「Pro-Life=プロライフ」の価値観が草の根でアメリカ全土に浸透していきました。

40年目を迎えた、いのちのための大行進。参加者の大半が10代、20代の若者たちです。彼らはPro-Life Generation=プロライフ世代であると言われ、世論調査でも今の若者は上の世代よりもプロライフの傾向が強いことが明らかになっています。

若い!明るい!ピースフル!中絶という究極の社会問題に輝く笑顔で立ち向かう彼らの姿は、大袈裟ではなく、行き場を失った私たち人類の希望です。

ワシントンDCの五十万人デモ行進の影響は世界に及び、いまや各国で、中絶法を変えよう、産まれる前のいのちとお母さんを守ろうと訴えるマーチがおこなわれています。

1948.7.13日本もともに

〜さあ、日本もともにマーチフォーライフ〜

この日、現在の母体保護法の前身である優生保護法が成立しました。

今日では先進国の多くが中絶を合法としていますが、世界に先駆けて、中絶を合法化した国が日本です。戦後の混乱期に、遺伝的疾患の蔓延を防ぐという優生保護のタテマエのもと、「経済的理由」によっても中絶が可能となりました。いまも中絶理由のほとんどが、この経済的理由によるものです。

優生保護法が施行されてわずか4年間で中絶件数は10倍になり、年間の出生数に迫る数の中絶がおこなわれるようになりました。世界は日本を「中絶天国」と非難しましたが、その一方で、日本に追随して中絶合法化の動きを始めます。アメリカは日本に遅れること四半世紀、1973年に合法中絶を実現します。

中絶の合法化によって、女が自由と権利を獲得したことよりも、男の身勝手と無責任が横行し、家庭や地域が崩壊し、無数の女性が傷つき、いのちが価値を失ったことの社会的インパクトのほうがはるかに大きいと危機感を抱く人たちが、世界中で立ち上がっています。人々を管理したい者、いのちをモノのように扱いたい者、すなわち権力と資本にとって中絶の合法化は好都合です。その意味で、プロライフは歴史的に重要な対抗運動となっています。

日本では長くこの問題がタブーとされ、傷つく女性は放置されてきました。個人の問題だし仕方がないことだからと見て見ぬふりのままでいいのでしょうか。日本が発端となって世界に多大な影響を与える結果となったことを思うとき、1948年7月13日という日は、決して忘れることのできない記念日です。

2014年7月13日。日曜日の午後、国会をめざして日本で初めてのマーチがスタートを切りました。わずか30名の有志による小さな小さな一歩ですが、とても勇気のある愛にあふれる一歩です。女も男も、大人も子どももいます。中絶経験者もいます。中絶やめよう。プラカード代わりのうちわを掲げますが、声はあげません。産まれる前の赤ちゃんが声をあげられないように、マーチ参加者も静かに、でも、満面の笑顔で歩きます。お腹の赤ちゃんが、声はあげられなくても生きていることそれ自体を喜んでいるように。

声なき行進は、祈りの行進でもあります。日本橋の坂本町公園を出発し、国会議事堂が見えてくる日比谷公園までの約一時間の道のり。ともに歩いた兄弟姉妹は、声はあげなくても、社会に意志表示することの意義を確認できたでしょう。ここに「いのちのともしび」があることを確信できたでしょう。そして、自分がいまここに生かされている奇跡を想うことができたでしょう。

これから毎年、7月の第二日曜日は、日本のマーチフォーライフ〜いのちのためのデモ行進の日になります。一歩一歩前進をつづけながら、中絶の闇を、いのちの光に変えていきましょう。いのちの大切さを伝え合う人の輪を広げていきましょう。

マーチフォーライフ・ジャパン 2015.7.12(Sun)