1982年3月15日、参議院予算委員会において村上正邦議員を質問者とする「生命尊重の基本」についての質疑がおこなわれ、鈴木善幸総理は次のように答えています。(※参議院予算委員会総括質問議事抄録より)

人間の生命は受胎に始まると、こう申しております。受胎をして、生命が宿ったときからわれわれはその人間の生命というものを尊重し、これを守っていかなければならないと、このように考えるものでございます。日本国憲法の第十三条におきましても、個人としての国民の生命、そして自由、幸福を追求するその要求というものに対しては最大限これは尊重されなければならない。その第一に生命の尊重ということがうたわれておるわけでございます。公共の福祉にもとらない限り、これはあらゆる立法を通じ、あらゆる施策を通じて最大限に尊重されていかなければいけない、このように思うわけでございまして、私はこの人格尊重、人権の尊重ということを政治の基本に据えて今後ともそのために努力していきたい、こう考えております。


総理の立場は紛れもなく「プロライフ= Pro-Life」です。プロライフとして百点満点の答弁です。それが、いわゆる「Right To Life」の考え方が、日本国憲法においてうたわれていると明言しています。さらに「堕胎天国」と世界から批判される状況を国政の最高責任者としてどう受けとめているかという村上議員の質問に対し、鈴木総理は以下のように答えています。(※同議事抄録より)


したがいまして、その生命の宿った新しい命の象徴であります胎児を人工的に中絶するというようなことは、私は生命尊重の基本に触れる問題であると、このように考えるものでございます。この点につきまして、優生保護法がございまして、いろいろの規定がございます。その中に「経済的理由により」ということがうたわれておりますが、これは単なる経済的事由ではなしに、継続して妊娠、分娩することが母体の健康を害するおそれがあるというような場合と、厳しくこれは解釈されるべきものだと、こう私は思っております。私は、優生保護法におきましても堕胎を認めておるというようなぐあいには受けとめておりません。



人工妊娠中絶は「生命尊重の基本に触れる問題」であるが、現行の優生保護法には種々の規定があり、「厳しく解釈されるべきもの」であり、堕胎(中絶)を認めた法律ではないというのが総理の解釈です。1996年より名称を母体保護法と変えているものの中絶が認められる以下の条項に変更はなく、中絶に関する国政の最高責任者による直近のこの見解は、現在でも有効であるはずです。

 



第三章 母性保護
(医師の認定による人工妊娠中絶)
第十四条  都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
 暴行若しくは脅迫によって又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの

 前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなったときには本人の同意だけで足りる。


文面をそのまま読めば、総理の解釈のとおり、母体保護法はむしろ中絶を規制するための法律であると認識することができます。そもそも中絶は、指定医師の認定によるのであって、本人の意志によっておこなうものではありません。いわゆるレイプによる妊娠の場合以外は、無条件に中絶が認められているわけではありません。「経済的理由」もしくは「身体的理由」に当てはまるとしても、それで条件が満たされるわけではありません。さらに「母体の健康を著しく害するおそれ」のある場合に限定されているのです。普通に考えて、そんな「おそれ」はまず心配無用でしょう。母体の健康を守るには妊娠を継続させることがいちばんなのですから。

前身の優生保護法は、戦後の混乱期に「産児制限の徹底による人口削減」を狙いとして、戦前に議論されていた国民優生法を接ぎ木するかたちで編み出された苦肉の策であり、その内容は中絶を禁じている刑法の堕胎罪の例外規定にすぎません。それが鈴木総理の言う「単なる経済的事由」として、安易に中絶を可能にする法律として、間違って運用されてきた事実は否めません。母体保護法と名前を変えた今は、まさにその名のとおりに真に母体の保護を目的とした、いのちを守る法律として運用されていくべきではないでしょうか。日本国憲法にうたわれている生命の尊重は胎児からあてはまるとした見解と合わせて、鈴木善幸総理の明快な答えが“現場”に反映されることを求めましょう。